ハンコの話し

1,今回は,ハンコの話しをしたいと思います。
新型コロナウイルスによりテレワークを推進しようという動きがあります。
しかし,現実には,それほど進んでいないようです。
その原因の1つとしてあげられるのが,「印鑑」や「紙による決裁」です。今年の6月19日には,内閣府,法務省,経済産業省が連名で,「押印をしなくても,契約の効力に影響は生じない」という正式見解を発表しました。しかし,以前から,日本社会では,紙による文書管理と押印という2つがセットとなって業務が行われています。いくら政府が「押印をしなくても,契約の効力に影響は生じない」といっても,「押印なきペーパーレス化」がすぐに浸透するようには思えません。そのあたりをハンコにからめてお話ししたいと思います。

2,ハンコの歴史
約5000年前のメソポタミアではハンコが既に使われていました。当時は,紙がありません。記録用の粘土板の上に円筒の外周に刻まれた文字や図案をゴロゴロと転がして粘土板に押印していたようです。
日本で有名なハンコは,「金印」です。日本史に必ず出てくる「漢倭奴国王」という刻印がされてあるハンコです。このハンコは,福岡市博物館に展示されています。一辺2.3センチ,重さ108グラムの金塊です。円筒形ではないので,メソポタミアのように粘土板の上を転がして使っていたわけではありません。
では,私たちのように,この金印を使って紙に押印をしていたでしょうか。
実は,この時代に日本には紙がありませんでした。
この金印は,どういう使い方をしたかというと,箱の中に大切なものを入れてから,その箱をヒモで巻き,そのヒモが勝手に解かれないようにヒモの部分を粘土で固め,その粘土のところに押印をしていたのです。
つまり,「封印」するのです。誰かが勝手に箱を明けると,封印が解かれ,バレてしまうわけです。
中国では古い時代から歴代の皇帝に「伝国璽(でんこくじ)」というハンコが受け継がれ,公文書の決済に用いられていました。それが,日本へ持ち込まれた根付いたのが,日本のハンコ文化の歴史のようです。

3,ハンコの用語
ハンコに関しては,いろいろな言葉があります。たとえば,ハンコ,印,印鑑,印影,印章です。これらの言葉にはどのような意味があるのでしょうか。
(1)印
 印とは,法律上は「印顆(いんか)」を意味します。いわゆる「ハンコ」のことで,物体としてのハンコのことです。たとえば,民法970条には「遺言者が,その証書に署名し,印を押すこと。」という規定がありますが,この「印を押す」とは「印顆つまりハンコを押す」ということです。
(2)印影
 印影とは,いわゆる「ハンコ」つまり法律上の「印顆」を押して紙の上に表されたものを意味します。朱肉を用いて「ハンコ」を押したときに,紙の上に残った赤い跡のことです。
(3)印鑑
 私たちが日常で「印鑑」と言っているのは,「印顆」つまり物体としての「ハンコ」を意味していますが,法律上はちょっと違います。あらかじめ役所に届け出ておく印影の意味です。つまり,印影のうち,実印などの「登録されたハンコで押した印影」のことです。「印鑑」証明というのは,登録されたハンコで押した印影がどのようなものかを証明しますという意味です。
(4)印章
 印章は,広辞苑によると「印。判。はんこ」と書いていますので,日常用語としては「印顆」のことを指しています。しかし,法律上は,印顆を表す意味で使われる場合と,印顆と印影の双方を表す言葉として使われる場合があります。
(5)まとめ
ちょっと,複雑になってしまったようです。
整理すると,ハンコという「物体」,そのハンコで紙などに押した「朱肉の跡」のこと,さら「登録されて朱肉の跡」の3つがあり,それらに難しそうな呼び方があると考えていただければよいかと思います。

4,契約の成立とハンコ
私たちは,契約書には必ずハンコを押さないといけないと思っていますが,ハンコを押さないと契約は成立しないのでしょうか。
実は,契約は,当事者の意思の合致により成立するとされています。口頭でも契約は成立します。
契約書を作るかどうか,また,契約書に押印をするかどうかは,法律に特別の定めがないかぎり,契約成立に必要な要件とはされていません。つまり,押印をしなくとも,契約の効力には影響は生じないというのが法律の考え方です。

5,ハンコを押す意味
では,口頭でも契約が成立するなら,ハンコを押す意味はあるのでしょうか。
この点について,民事訴訟法第228条第4項が関わってきます。
ちょっと,解説が法律チックになっていきますので,頑張ってついてきてください。
契約が成立したかどうかが争われる場面があります。たとえば,これは私が作成した契約書ではないと争われるケースがあります。そんなときにはどうすればよいか。
民訴法第228条第4項は,「私文書は,本人[中略]の署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」と定めています。この規定により,契約書に,本人の押印があれば,その契約書は,本人が作成したものであると推定されるのです。
この条文は,裁判所は,ある人が自分で押印をした文書は,特に疑わしい事情がない限り,真正に成立したものとして,扱ってよいという意味です。自分で押印をしたことが前提となっています。
では,その人が押印していないと主張してきたら,どうでしょうか。
その場合には,印影と作成名義人の印章が一致することが立証されれば,その印影は作成名義人の意思に基づき押印されたことが推定されます。
そして,先ほど述べたように,民訴法第228条第4項によりその印影に係る私文書は作成名義人の意思に基づき作成されたことが推定されます。
図に書くと次のようになります。
印影と印章が一致→自分で押印したはず→文書は真正に成立したはず
法律家の世界では,これを「二段の推定」と読んでいます。

6,印鑑証明
先ほどの話しは,印影と印章が一致した場合に二段の推定が働くという話しです。
では,印影と印章の一致はどのように証明したらよいでしょうか。
契約書へ押印をしてもらうときに,印鑑証明書をもらっておけば,その印鑑証明書をもって,印影と作成名義人の印章の一致を証明することは容易です。
そうです。契約書には実印で押印してもらいましょう,そのときに本人から印鑑証明書をもらいましょうとしている実益はここに あるのです。
図に書くと
印鑑証明書→印影と印章が一致→自分で押印したはず→文書は真正に成立したはず
という流れになります。
では,契約書に押印されたものが実印ではなく,いわゆる認め印である場合にはどうか。
その認め印が本人のものであることを証明しなければなりません。どうやってその認め印がその人のものであることを証明したらよいのでしょうか。これを証明するのは難しくなります。

7,押印は必要か
契約の成立の場面では,実印と印鑑証明が重要な働きをしていることをお話ししました。
そのため,契約成立に関していえば,デジタル化を進めるのは難しいかもしれません。西院は,デジタル契約というもあり,しっかりと証明できる仕組みも整いつつありますが,それほど普及していないようです。
では,契約以外の場合で押印は必要なのでしょうか。
テレワーク推進の観点からは,本人による押印を得ることにこだわる必要があるのかどうか,押印をする意味があるのかを検討する必要があるように思います。
場合によっては,不要な押印は省略したり,仮に「重要な文書」と考える場合だとしても,押印以外の方法をとることが可能かどうかを検討していくことが大切ではないでしょうか。

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